448 アチャコの京都観光日誌 歳時記 「今から出かける京都」 粟田神社 粟田祭 - アチャコちゃんの京都日誌

粟田神社 粟田祭

6日(土)神賑行事と出御祭 7日(日)夜渡り神事(大燈呂巡行) 8日(祝・月)神幸祭(剣鉾巡行と神輿渡御) 15日(月)例大祭(式庖丁奉納)

円山公園から知恩院の山門の前を通り「瓜生石」の横を通り青蓮院のクスノキを過ぎると、粟田神社の参道に行き当たる。東山36峰の粟田山の麓に向かって鳥居をくぐる。さらに平安神宮までそぞろ歩き出来る良い散策コースである。

その粟田神社は、京の七口の一つ「粟田口」にあり、東海道への出口なので、旅の安全にご利益がある。しかし歴史は古く1000年以上以前の創建である。八坂神社との関係が深く、牛頭天王(スサノウノミコト)を主祭神としている。また一説には、山城の国内で移住してきた渡来人の粟田氏がその地を治めていた時に氏神として創建したとも云われる。

旧社名は、粟田天王宮と言われ、八坂神社と同じ牛頭天王素盞鳴尊)を祭神とするところから感神院新宮とも呼ばれていた。そして明治になって現在の粟田神社となった。因みに、八坂神社も明治になって、祇園社から改名している。

室町時代には、戦乱などで祇園祭が中止となった場合、この粟田祭がその代わりとするほどの権威あるお祭りである。

祭は、「出御祭(おいでまつり)」「夜渡り神事」「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭(かんこうさい)」、そして15日の「例大祭(れいたいさい)」まで4行事に大別される。

特に夜渡り神事は、「れいけん(霊験)」という特殊な神事で、御神宝の阿古陀鉾と地蔵鉾を奉じて「瓜生石」の周りを3周する。その昔霊験あらたかな「金札」がこの瓜生石に現れた故事に因むものである。また平成20年よりは古く行われていた風流灯籠も復興し、「粟田大燈呂」として行列に加わっている。ちょうど青森のねぶた祭りのような豪華なものである。

大燈呂

神幸祭では、神様が氏子区域を巡行する。そこでの注目は「剣鉾」である。昭和五十年代からこの鉾差しが復活したのだが、現在は「粟田神社剣鉾奉賛会」が結成され、氏子の手で剣鉾が差されている。その剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具と解釈されている。剣鉾は剣差しと呼ばれる人によって重さ40〜60kg、長さ7〜8メートルのものが1人で指される。独特の歩行法で剣先をしならせていく。一説には祇園祭の鉾の原型とも言われる。

剣鉾差し

神輿巡行 神輿も長く居祭り(巡行しない)が続いたが、「粟田祭巡行壱千年祭」に復興した。神輿はその日特別に青蓮院の四脚門から入場する。青蓮院では青蓮院御門主様が御加持をお授ける事になっている。神仏混淆時代の名残でもある。

そして最後の、例大祭では、八坂神社からも神職が来て、本殿に舞楽の奉納がある。

このように祇園祭が余りにも豪華で有名になり、一方途絶えがちであった「粟田祭」が、しっかり復活している事も京都の歴史の力強さを感じる。